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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)5915号 判決 1961年8月29日

原告 田中正治郎 外一名

被告 国

訴訟代理人 館忠彦 外二名

主文

被告は、原告田中正治郎に対し金三八二万九、八七〇円及びこれに対する昭和三三年八月五日から原告学校法人女子学院に対し金一、一四一万二、二五〇円及びこれに対する昭和三三年八月九日から、各支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

一、原告ら訴訟代理人は主文同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因及び被告の主張に対する反論として次のとおり述べた。

(一)  原告田中正治郎は昭和二九年一〇月二八日訴外岸本不動産株式会社を通じ別紙物件目録(一)記載の土地(以下本件土地(一)という)を訴外関口孟也から買い受け、即日東京法務局麹町出張所受付第一五三二九号をもつてその旨所有権移転登記を了し、また原告学校法人女子学院は昭和二九年一一月九日別紙物件目録(二)記載の土地(以下本件土地(二)という)を右関口孟也から買い受け、同月一〇日前同出張所受付第一五九六三号をもつてその旨所有権移転登記を了した。

(二)  しかるに右関口孟也の前所有者である訴外鳥海京は昭和三〇年七月末ごろ原告らを相手方として、本件土地(右本件土地(一)(二)はもと同番地八宅地五六〇坪の一筆をなしていた。以下これを本件土地という)は右鳥海京の意思にもとずかずして、宮訴外高英一らにおいて登記済証、印鑑証明書及び委任状等を偽造して右関口のため所有権移転登記をしたものであつて、所有権の移転するいわれはないとの理由で、東京地方裁判所に所有権移転登記抹消の訴を提起し(同庁昭和三〇年(ワ)第五五四四号)、すでに第一審において本件原告ら(右事件被告)敗訴の判決言渡があり、目下控訴中である。原告らの調査によれば(1) 本件土地については昭和二九年一〇月一一日東京法務局麹町出張所受付第一四五六六号をもつて右鳥海京から関口孟也に所有権移転登記手続(以下本件登記という)がなされているが、右登記をするさいに使用された登記済証、印鑑証明書及び委任状はいずれも右高宮らにおいて偽造したものであること、(2) 右偽造された登記済証は昭和二二年九月六日付売渡人玉置源一郎、買受人鳥海京、東京区裁判所麹町出張所受付第五三〇一号と記載され、その他の記載は大体真実の登記済証と同一で一般人 して一見真正に成立した登記済証と見得られるものであつたこと、が判明した。

(三)  右登記済証について検討するに右偽造登記済証の日付である昭和二二年九月六日当時は東京区裁判所麹町出張所なるものは官制上存在せず、本件土地の所轄登記所は東京司法事務局麹町出張所と称していたものであるにかかわらず、右登記済証には東京区裁判所麹町出張所となつているのであつて、一般人はさておき登記官吏とくに当該登記所の登記官吏としては右登記済証が一見偽造文書であることは容易に発見できるにもかかわらず、東京法務局麹町出張所係官らは過失によつてこれを看過し、真正に成立した登記済証として前記鳥海から関口に対する本件登記をしたものである。右過失の点を細説すれば次のとおりである。

(1)  (国民の登記簿及び登記事務に対する信頼と登記官吏の注意義務)

わが国において不動産の取引の現実はすべて登記簿にもとずいて行われていることは公知の事実であり、取引にさいし登記簿を閲覧しないための事故の如きはその者に重大な過失ありとされるくらいである。登記簿に権利者と記載してあれば、これを真実の権利者と見て取引を行うのが今日の社会の常識であり、登記簿及び登記手続に対する国民の信用はきわめて高く、その信頼にもとずいてこそ取引の安全と迅速が確保されるのである。もとよりわが制度の下では登記にいわゆる公信力はない。登記手続における登記官吏の審査もつぱら形式的要件に限られ、実質的審査は行つていない。しかし民法は登記をもつて不動産権利変動の唯一の対抗要件と定め、また取引の実情も登記に対する深い信頼にもとずいて行われている。されば不動産登記法は登記手続について厳重な要件を定め、特に同法第四九条は不適式な登記申請を却下すべき旨を規定し、登記官吏に形式的審査の義務を課している。従つて登記官吏が実質的審査権をもたないことから来る取引の混乱(たとえば錯誤による所有権移転契約にもとずく登記を信用した場合)はかくべつ、いやしくも登記官吏が形式的審査をすべき事項についての誤りは軽々に考えることは許されない。もしこの形式的審査責任をすら寛大に解し、あやまつた登記の責任の所在を不明確にするならば、国民が現在登記簿及び登記手続に対してよせている信頼は根本的に動揺せざるを得ないこととなる。本件において申請書に添付された登記済証なる書面は全く偽造のものであるから、本来右登記法第四九条第八号により却下さるべきものであつた。そして添付された登記済証が真正なものなりや否やの審査こそは、まさにわが法制における登記制度のもとで登記官吏がなすべき主要な責務の一であり、申請を受けた登記官吏は右文書の真否につき慎重かつ厳正に審査をなすべき法律上の注意義務を有することもちろんである。

(2)  (登記官吏が右登記済証の真否を調査しなかつた事実)

本件登記の申請にさいし東京法務局麹町出張所の登記官吏松本英一郎、同安藤重夫らは右登記済証における庁印の対照はもとよりほとんど印を見てもいなかつたものである。従つて右偽造の庁印が当時の庁名と異つているものであることに全く気付かなかつた。被告は右偽造印は「真正の印章と寸分ちがわないものであるから、それについて真偽を看破できなかつたとしても、この点に過失あるものとすることはできない。」と主張するが、その前提事実のあやまりは別としても、そもそも調査どころかなんら注意して見てもいないのであるから、看破できたとかできないとか問題にならない。登記にあたり申請書には必らず、登記義務者の印鑑証明書を添付せしめ、これと申請書又は委任状の印とを対照して厳重な調査をすることは当然であるが、登記所作成名義の書面については、ほとんど庁印を見もしないということは驚くべき差別である。登記所係官の心理にはいまだに官尊民卑の風が無意識のうちに残つているのであろうか。しかも本件はまさにこの心理的盲点をつかれてみすみす偽造の庁印を見のがしてしまつたのである。登記所の印といえども偽造されることは本件にはじまつたことではない。故に登記官吏としては申請書等の真否を調査するのと同様に登記済証をも調査すべきであり、その間取扱を区別すべきなんらの理由もない。このことは本件以後東京法務局麹町出張所においては権利書(登記済証)の庁印と役所で現に使つている印とを対照するようになつた一事をもつてしても容易に理解し得るのであり、当時は本来行うべき調査を全く行つていなかつたのである。

(3)  (登記所の名称変更にさいし、旧印章の使用がきわめてずさんで、しかも対照用の印影を保存していない事実)

登記所が自庁の庁印に対してもつ過度にして不当な信頼感は対照用の印影を当該登記所に保存させていないことによつても明らかである。これでは対照しようにもする方法がない。現場の登記官吏が庁印の調査をしなくなつた原因の一つは上級官庁の庁印に対するずさんな扱い方にあるということができる。すなわち登記所がその名称を変更した場合、その名称を刻した印を直ちに使用させることなく、旧名称の印を引続き使用させ、その後新印を旧印と引かえて使用させることにしているようであるが(乙第一号証)、別に期間を限つているわけでもなく、新旧印の使用について記帳させる等の厳格な方法を指示しているわけでもない。

従つて現場の機関でも新印を上級機関から受け取つたときは漫然旧印をかえしてしまうのであつて、そもそもいつから新印を使用したかは判然としないのであり、本件でも明確に知る方法がない。しかも旧印の印影、印顆について保存措置を講じていない。本件偽造の登記済証に記載された昭和二二年九月六日当時の本件土地所轄の登記所の正式名称は「東京司法事務局麹町出張所」であることは前記のとおりであり、同名の庁印を使用していたものであるから(甲第四号証)、もし登記所において庁印の使用に関心を払い、その使用時期を明確にし、登記官吏も少しでもこれに気を使つたなら容易に偽造を発見し得たであろうことは多言をまたない。被告は少くとも同年九月三日まで「東京区裁判所麹町出張所」の印を正規に使用していたから発見不能であるというけれども、その事実があつたとしても登記所において印の使用時期を明確にし、記帳でもしておけば、きわめて簡単に偽造が発見できたことには変りはない。しかるに登記所は旧印について全く関心なく、係員にいたつては自己の登記所の旧名すら知らないという状態では偽造を発見し得ないことも当然である。これ本件における第二の過失といわざるを得ない。

(4)  (偽造の印影は真実の印影とは相違し、注意すれば容易に発見し得た事実)

被告は「偽造印は真印と寸分違わなかつた」と主張する。このことは本件登記においてすでに過失の存すること前記のとおりである以上、その判断に消長を来たすものではないが、事実は本件において従前の「東京区裁判所麹町出張所」の印と偽造印とは決して酷似しておらず、もし調査ないし対照してみれば容易に識別し得べきものであつたのであり、被告の右主張は事実に反する。本件において偽造印は印顆印影とも現存していない。しかし偽造に関与した証人高宮英一の供述によれば偽造印は余りよくできておらず、素人目はごまかせても登記所でとおるとは思えないようなものであつたという。このにせの権利証は本来登記手続までされるために作られたのでなく、これらの書類の交付によつて他人から金融を得ようとしたものである。

すなわちその行使の対象は素人であり、しかも偽印作成のために与えられたモデルの印影は「東京区裁判所麹町出張所」の印ではなく、他の出張所の印であり、麹町の字についてはモデルはない。そして偽造者らは実際の官署と全く異なつた名義の公文書の作成ならば公文書偽造にはならないと思い、そのような認識で犯行がなされたのであることからすれば前記高宮証人の供述は信用するに足りるのである。

(5)  (本件以前にも登記済証の偽造があり、注意すべき旨が伝達されていた事実)

本件以前にも登記済証の偽造事件があり、会同等で問題にされ上司からの注意もあつたのであり、本件だけが奇想天外なものではない。殊に終戦後しばしばいわゆる地面師と称する偽造団が登記済証等を偽造したことは新聞等で報道されていたところである。それにもかかわらず「公印だから」との安易な考えでその検討を怠つたことは登記所官吏の重大な過失といわざるを得ない。

(四)  以上の如く登記所係官の過失によつて、全くの無権利者である関口孟也があたかも真実の所有権者として登記簿に記入、表示されるにいたつたのであり、原告らは右登記を信頼して右関口孟也を真実の権利者と誤信し同人から本件土地をそれぞれ買い受け原告田中は代金三六二万二、八五〇円を関口に、仲介手数料として岸本不動産株式会社に金二〇万七、〇二〇円を各支払い、原告学校法人女子学院は代金一、一四一万二、二五〇円を関口に支払つたのである。もし被告の登記官吏にしてかかる過失なかりせば鳥海より関口への本件登記は実現しなかつたはずであり、右登記なかりせぱ原告らもまた関口より本件各土地を買い受けなかつたであろうことはきわめて明らかである。原告らは別訴鳥海からの訴訟の勝敗にかかわらず、実体上本件土地の所有権を取得し得ないものであるから、その支払つた各金員は結局原告らの損害に帰するほかないのであり、これ公権力の行使にあたる公務員の過失にもとずく違法な行為によるものであるから、ここに国家賠償法第一条にもとずき被告に対し損害賠償として前記各金額とそれに対する各訴状送達の翌日(原告田中につき昭和三三年八月五日、原告女子学院につき同月九日)から各支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払を求める。

二、被告代理人は原告らの請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とするとの判決を求め、答弁及び主張として次のとおり述べた。

(一)  原告ら主張の主張の事実中本件土地(一)(二)につき東京法務局麹町出張所において訴外関口孟也を売主、原告らをそれぞれ買主として原告ら主張の日時その主張のような売買による所有権移転登記のなされたこと、右関口の前所有者が鳥海京であり、右鳥海京から関口孟也に対し原告ら主張の移転登記(本件登記)がなされ、それに用いられた登記済証が昭和二二年九月六日付売渡人玉置源一郎買受人鳥海京、東京区裁判所麹町出張所受付第五三〇一号と記載されたものであつたこと、右登記済証の日付である昭和二二年九月六日当時東京区裁判所麹町出張所なるものが官制上存在せず、本件土地の所轄登記所は東京司法事務局麹町出張所と称されていたことは認めるが、本件登記につき東京法務局麹町出張所係官らに過失の存すること、原告らが本件登記を信頼して関口孟也を真実の権利者と誤信した結果その主張の損害をこうむつたことは否認する。その余の事実は知らない。

(二)  本件登記について東京法務局麹町出張所係官らには過失はない。

(1)  本件土地の所轄登記所としてかつて東京区裁判所麹町出張所なるものが存した。すなわち同登記所は従前東京区裁判所富士見町出張所と称したが昭和一四年七月一五日司法省令第三一号により同年八月一日から東京区裁判所麹町出張所と改称し、昭和二二年五月三日にいたり東京司法事務局麹町出張所となつたものであるが、同日付「印章等制定に関する司法大臣訓令」(乙第一号証)により右の新名称にもとずく様式に従つた印章等を使用することとなつていたけれども、当時その名称の印章等は同出張所に対し作製配付されず、同訓令により認められた従前の印章、すなわち東京区裁判所麹町出張所の印章を用いて庁印に代えることができることとなつており、これにもとずき同登記所においても改称後引き続き右旧印を使用し、少くとも本件登記の直前である昭和二二年九月三日ごろも使用していたことは明らかである(乙第二号証の一、二)。

(2)  鳥海京から関口孟也に対する本件登記にあたり添付書類として提出された登記済証等が仮りに偽造にかかるものであつたとして、これを偽造と判定することができなかつたとしても次のように係官らに過失はない。すなわち登記申請がありこれにもとずき登記簿に記入がなされるまでには、受付・調査・記入・校合の四段階を経るものであるが、このうち申請の登記すべきかどうかについて検討するには右の調査において、登記簿と照合し、登記原因、添付書類等が必要な要件を具備しているかどうかを検討し、登記すべきものと認めた場合には一応登記簿に記入し、さらに最終的に登記簿等を対照しその申請の適法性を検討する右の校合の段階を経て完了するものであつて、右の各段階はいずれも原則として各異なつた職員によつて行われ、もつて申請に対する検討の機会を多くしてその適正を担保しているのである。これを本件についてみるに、その偽造された登記済証に押捺された登記済に関する印影は今その物的証拠がないから、これをつまびらかにすることができないが、その印影及び記載事項はその形状、寸法、手段方法等において真正な登記所使用のものと寸分違わないものであつて、その真偽は専門家の鑑定をまたなければ容易に判別できないほどのものである。そして東京区裁判所麹町出張所が現に存在し、またその登記済証の日付ごろまで従前の印章を使用していたのであるから、その日付から七年を経過した昭和二九年当時において右旧印が右登記済証の日付ごろまで使用されていたと誤認したとしてもむしろ当然のことである。これをたとえば昭和二八年ごろの日付であるにかかわらずまた右旧印を使用したこととなつている登記済証ででもあつたならかくべつ、その旬日にもみたない日数の差をもつてその違法を発見せよと期待するのはほとんど不可能を強いるものである。受付・調査・記入・校合の諸段階において各係官に検討されながらなおかつその偽造を看破できなかつたことはその間の消息を示すものである。当時は本件登記所においては一日七〇ないし八〇件もの事件を取り扱つていたのであり、証拠にもとずき厳格な証明を要求して事件を判定する官庁とは異なり、登記簿の記載と登記済証の記載とが符合し、その登記済証が右のように真偽判定の困難なほど真正なものと似ているものについて、定型的に迅速に事務の処理を要求される登記官吏に、それ以上の注意義務を課すのはあやまりである。

(二)(1)  原告らは登記官吏が登記済証の真否を調査するについてはその登記済証に押捺された庁印についての調査、殊にその印影の文字をいちいち判読しなければならないとし、これが登記済証に対する主要な調査内容であるというが、登記済証は登記官吏が登記を完了した場合に登記原因を証する書面に申請書受付の年月日、受付番号、順位番号及び登記済の旨を記載し登記所の印を押捺したものであり、庁印はその一部をなすものであつて、登記済証の本来の内容は右に掲げた事項の記載が問題となるものであつて、庁印すなわち登記所の印は登記済の記載が当該登記所において行われたことを形式的に担保するものに過ぎないのである。もつともこの記載自体が登記所で行われたか否かの真否を判断するためにその庁印についても真否を判断する必要のあることは原告らの主張するとおりであるが、庁印の字句を一字一字見ることによつてその調査を尽したものとすることはできず、それを一字一字見なかつたからとて直ちにその調査を怠つたものとすることもできない。すなわち右のような登記済証になされるこれらの各記載及び庁印の押捺は一定の形式をもつてされ(甲第四号証参照)、登記官吏としてはその登記済証を一覧することにより、その登記済なることと、その押捺された庁印自体を認識し得るものであつて、庁印を全く見ないということはあり得ず、むしろ当然これを見るべく強いられているのであり、しかも登記所においてはかつて当該登記所で作成された登記済証に押捺された庁印は、その後の登記申請において常に見なれているので印影の文字の一々を見る必要のないほど脳裡に焼付けられており、一見して当該登記所の印影であるかどうかは判然と判断し得るのである。登記官吏が庁印を見ないというならば、それは右の如き意味においてである。

(2)  原告らは登記所の名称変更にさいし旧印の使用がきわめてずさんであり、しかも対照用の印影を保存しなかつた過失があると主張するが、印判自体はその使用によつて磨耗するから、名称変更の時に保存された印影によつて当該登記済証の印影の真偽を判別させることは不適当であり、結局経験にもとずき判別するほかなく、印影自体から真実の印影と相違することが明白でないかぎりその偽造を発見し得なかつたとしても当該官吏になんらの過失もないのみならず、旧印影を保存させなかつたとしても過失ではない。

(3)  さらに原告らは本件の偽造印影自体も真実のそれと相違し、注意すれば容易に発見し得たと主張するが、偽造の関係者である訴外高宮自身この偽造印による登記済証等を登記所に対して行使しているのであつて、もしそのいう如く素人目はごまかせても登記所でとおるとは思えなかつたものとすれば、ことさらに自己の偽造を発見されるような態度に出たことになるのであつて不可能解であり、これむしろ真実の印と全く同一の印影であつたことを裏書きするものである。偽造にあたりモデルとされた印が東京区裁判所麹町出張所の印でなく、他の出張所の印であつたとしてもその字体は清朝体で一般に出張所において使用されるものと同一であるから「麹町」の字を同じ字体で刻印することは容易である。

三、立証

原告ら訴訟代理人は甲第一ないし第八号証、第九号証の一ないし四、第一〇号証を提出し、証人高宮英一、同松本英一郎、同安藤重夫、同茅原賢吉、同林松星、同山本五郎の各証言及び原告田中正治郎本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の成立は認める、乙第二号証の一、二の成立は知らないと述べた。

被告代理人は乙第一号証、第二号証の一、二を提出し、証人安藤重夫の証言を授用し、甲第六ないし第八号証、第一〇号証の各成立は知らない。その余の甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

一、本件土地が訴外鳥海京の所有で登記簿上に同人の所有名義の存したことは本件口頭弁論の全趣旨に徴して当事者間に争ないものというべきところ、昭和二九年一〇月一一日東京法務局麹町出張所受付第一四五六六号をもつて右鳥海京から訴外関口孟也に対する所有権移転登記(本件登記)がなされていること、原告らがその主張の日時右関口から本件土地(一)及び(二)をそれぞれ買い受けたとして原告らのため原告ら主張の各所有権取得登記のなされたことは当事者間に争ない。

二、原告らは、鳥海から関口に対する本件登記は訴外高宮英一らが登記済証、印鑑証明書及び委任状等を偽造してしたものであると主張するところ、成立に争ない甲第一ないし第五号証、第九号証の一ないし四の各記載及び証人高宮英一同林松星の各証言をあわせれば、高宮英一らは全く所有者たる鳥海京の意思にもとずかず、鳥海の前主玉置源一郎から鳥海に対し本件土地を譲渡した旨の登記済証、鳥海名義の委任状、所轄町長名義の印鑑証明書等登記の必要書類一切を偽造し、これら書類を関口に交付して同人から金員の交付を受け、関口において右書類にもとずき本件登記を経由したものであることを認めるに十分であり、従つて鳥海関口間にはなんら有効な所有権移転行為はなく、本件登記は実体にそわず、かつ登記義務者の意思にもとずかないものとして無効であること明らかである。

三、しかして右の本件登記にさいし用いられた前記各偽造書類のうち登記済証は昭和二二年九月六日付売渡人玉置源一郎、買受人鳥海京、東京区裁判所麹町出張所受付第五三〇一号と記載されたものであり、右の日付である昭和二二年九月六日当時は、東京区裁判所麹町出張所なるものは官制上存在せず、本件土地の所轄登記所は東京司法事務局麹町出張所であつたことは当事者間に争ない。原告らは、かかる偽造登記済証による登記申請を看過して本件登記をしたのは東京法務局麹町出張所登記官吏らの過失であると主張するので、この点について検討する。

(一)  前記甲第四号証第九号証の一ないし四の各記載、証人高宮英一同林松星の各証言をあわせれば、右高宮らが右登記済証を偽造するにあたつてはあらかじめ本件土地の登記簿により鳥海京が本件土地の取得登記をしたさいの登記原因、受付日時、受付番号、物件の表示等を調べ、これら真実のものに符合するように登記済証を作成したのであるが、登記所の名称については東京区裁判所麹町出張所名義とし、その名称の庁印及び受付印(登記済印)を印刻偽造して用いたものであることが明らかである。しかして証人松本英一郎、同安藤重夫、同茅原賢吉の各証言をあわせれば、本件登記のなされた昭和二九年一〇月一一日当時東京法務局麹町出張所においては出張所長以下登記官吏二人その他の庁員一〇名内外をもつて登記事務にあたつていたが、登記の申請から終了までには受付・調査・記入・校合の四段階を経、各段階ごとに異なる係員によつて処理されるところ、このうちとくに調査と校合とにおいて、登記申請書、委任状、印鑑証明及び登記済証その他の添付書類等についてその成立の真否、登記簿との符合の有無等を調査点検していたこと、申請書や委任状の真否については登記義務者の印鑑証明と対照して相当厳重な審査をするが、添付の登記済証についてはその物件の表示、受付日時及び番号等が登記簿と符合するかどうかが主たる調査内容であつて、その庁印や受付印の庁名が何となつているか等についてはほとんど調査していなかつたことを認定することができるから、本件登記においても右東京法務局麹町出張所係官らはその登記済証については物件の表示、受付日時及び番号等が登記簿の記載と一致することに満足し、右書面における庁印及び受付印に東京区裁判所麹町出張所という真実の庁名と異なる庁名の表示がなされていたことに気付かず、従つてその偽造たることに気付かず、申請を却下することなく本件登記を終了せしめるにいたつたものであることを推認するに十分であり、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  およそわが国における不動産の登記は、不動産権利変動の唯一の対抗方法として国家機関が法律の定める要件にもとずいて関与し不動産の権利変動の過程に応じその権利状態を登記簿に登録公示するものである。登記は原則として当事者の申請にもとずき、登記官吏の審査を経てなされるものであり、その審査は実体上の権利変動の有無には及ばないという意味でいわゆる実質的審査ではないが、申請にさいしてはそれが当事者とくに登記義務者の意思にもとずきなされること、権利変動にかかる物件として申請されるものが登記簿上の表示と正しく符合すること、他の登記と相互にむじゆんしないこと等につき厳格な形式的要件が要求され、いわゆる形式的審査を経るものであり、書面に記載された当事者や物件の表示に一字一句の相違があつてもそのままでは受理されないほどのものであるから、ひとたびある不動産の権利につきかかる手続によつて一定の事項が登記されれば、その登記は、当該権利につき、いわゆる公信力こそはないけれども、当事者自らの意思にもとずき国家の関与により国家の公簿に厳格な形式要件を経て登録されたものとして現実に公示力、推定力、対抗力等の強い効力を認められるものであり、一般取引社会のこれによせる信頼もまた大であり、不動産取引の実際は実にこの登記簿を中心に営まれるのである。登記にあたり申請書に原則として添付を要する登記済証は当該登記の目的たる不動産につき当該登記の義務者のための登記がなされたことを示すものであり、申請書に添付を要する印鑑証明と相まつて、これによつて申請者が登記義務者であることを確かめ、登記義務者の意思にもとずかない申請のなされることを防止しようとするのである。登記の申請を審査する登記官吏としては申請書及び委任状の成立の真否を添付の印鑑証明との対照等によつて調査すると同様に、登記済証そのものの真偽についても調査すべき職責を有するものであることは、その添付を要する理由がもつぱら前示の如きものであることにかんがみ当然であり、それがかつて当該登記所で審査されたはずのもの(当時は登記申請書もしくは登記原因証書として)であるとの理由で、もしくは登記済証がなくても保証書をもつて代え得るからあえて登記済証を偽造するはずはないとの理由で、その真否の審査を省略し得べきものではない。しかるに本件登記にさいして添付された登記済証が偽造であることは前記のとおりであり、しかもその庁印及び受付印における登記所名は右日付当時における真実の登記所名と異なるものであつたから、それが偽造であることはその表示自体により客観的に明白であつたにかかわらず、事に当つた登記官吏らは漫然これを看過し、右庁名の異なることに気付かず、従つてまたその偽造に気付かなかつたものである。証人松本英一郎の証言によれば当時すでに世上に登記済証の偽造が行われたことがあり、右出張所長たる同証人自身もこの点につき部下に注意をうながし、会同等の機会においても議題とされたことのあることが認められるのであつて、登記済証の偽造なるものが当時登記官吏の想像を絶する稀有の事例であつたとすることはできない。本件以後登記済証の庁印等を当該登記所の庁印等と対照してその真偽を審査することが励行されていること前記松本証人の証言からうかがわれることもこれを裏書きするものである。

(三)  すすんで本件において、もし当該登記官吏らが登記済証の庁印、受付印の庁名に注意したとしたら、その庁名の当時表示されるべかりし真実のそれと異なることに気付いたかどうかについて検討しなければならない。けだし本件において当該登記所係官らがこの点に注意してもとうていその偽造を発見し得べからざるものであつたとすれば、たんにそれが客観的に明白であつたというだけでは結局過失ありとはし得ないものといわなければならないからである。成立に争ない乙第一号証、証人安藤重夫の証言と弁論の全趣旨により成立を認めるべき乙第二号証の一、二、前記甲第四号証の各記載に本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、本件土地の所轄登記所は従前東京区裁判所富士見町出張所と称したが昭和一四年七月一五日司法省令第三一号により同年八月一日から東京区裁判所麹町出張所と改称し、昭和二二年五月三日裁判所法施行と同時に東京司法事務局麹町出張所となつたものであるが、同日付司法大臣訓令にもとずき右の新名称にもとずくあたらしい庁印等ができるまで従前の区裁判所時代の旧印を用いることが許され、事実少くとも本件登記のわずか三日前たる昭和二二年九月三日までは右旧印によつて登記事務がなされ、旧印による登記済証が存在したことを認めることができる。従つてこの点だけからすればあるいは右登記官吏らにおいて過去の名称表示変遷の日時を正確に記憶していないかぎり、これを見あやまつたとしても必ずしも非難できないかの如く見える。しかし前記証人松本英一郎、同安藤重夫、同茅原賢吉の各証言によれば、東京法務局麹町出張所においても係官らは過去における同登記所の所管ないし名称の変遷については必ずしも正確な知識を有せず、ましてその名称表示変更の日時についてはこれを銘記する者が少なかつたこと、名称変更にともなう庁印受付印等は上級の司法事務局(法務局)から配付されるとともに直ちに使用に供し、旧印の使用はやめて印顆は返還し、旧印については印顆はもとより印影も当該登記所には保存されていないこと、名称変更後旧印がいつまで使用され、新印がいつから使用されたかについてはなんらの記録も残さず、今日でもこれをたしかめる正規の方法がないこと等の事実を認めることができる。右事実によつて考えれば本件登記所を含む被告の登記事務当局者においては一体に登記所の名称変更にともなう庁印受付印等の取り扱いがかなりずさんであり、登記所が自己のしたものたることを確認、表示する手段としての印章につききわめて安易な考え方をとつていたものと断ぜざるを得ない。本件における名称変更の当時は終戦後の混乱なお治まらず、物資欠乏の時期でもあつたから、名称変更と同時に新印を使用することができず、しばらく従前の旧印を代用することも止むを得ないものであつたとし得べく区裁判所は同時に廃止されたから、その点で管轄の混同を生ずるおそれもなかつたとはいい得よう。しかしすでに所管と名称が変つたにもかかわらず、旧制度の下における旧名称の旧印を使用するというのは、それはあくまで一時的の便宜の措置であり、異例のことであるから、それをやむなきこととして認めるについてはそれ相当の用意があつてしかるべきものであり、少くとも旧印使用の期間がいくばくであり、新印の使用をはじめたのがいつであるかは後日のため記録して保存すべきであり、それにともない旧印の印影をもまた保存すべきものである。それでなければ名称と庁印とが符合しない不自然から来る疑惑を解明する手段がないこととなる。本来名称の変更は必ずや官制によるのであるから、それがいつなされたかを知ることは比較的容易であり、とくに本件東京区裁判所麹町出張所から東京司法事務局麹町出張所への変更は日本国憲法の施行にともなう裁判所法の施行等一連の司法制度政革の結果であるからその日時は少くとも関係公務員には容易に記憶されるところである。もしこの名称変更後一定日時まで一定様式の旧印が用いられたことが容易に指摘対照し得るようあらかじめ前記方途が講じられてあるならば、登記済証に押捺されている旧印がはたして適法にその使用を許された時期のものであるかどうか、その印影は真正のそれと一致するかどうかを判定することはきわめて容易であるといわねばならない。当時本件登記所において一日六〇件ないし七〇件の登記を扱つていたとしてもその理はなんら変ることはない。しかるに本件登記所を含む被告の登記事務当局にはこの点の用意に欠けるところがあつたのである。被告は印判は絶えず磨滅するからその印影を保存して真偽判断の対照に供するのは不適当であると主張するが、ここにいう印影の保存とはもつぱら名称変更にともなう旧印のそれをいうものであるから右所論は失当である。従つて仮りに本件において登記官吏らが本件登記済証の庁印受付印の庁名表示に気付いたとして、なおかつそのあやまりであるゆえんを発見し得なかつたであろうとしても、それをもつて本件が本来その偽造を発見し得べからざるものであつたとすることは相当ではないのである。

(四)  これを要するに本件登記において当該登記官吏らはその職務上の注意義務を怠り当然発見すべきであつた登記済証の庁印受付印が客観的に明白な偽造であることを発見し得ず、従つて右登記申請が総じて登記義務者の意思にもとずかずして行われる虚偽のものなることを発見し得ず、本来却下すべきであるにかかわらずあやまつて本件登記を終了したものというべきことは明らかであるから、右登記済証に押された庁印受付印の形状がはたして真正の東京区裁判所麹町出張所のそれと寸分違わず誰の目にも真実のものに見えたかどうかの点にかかわりなく、右登記は当該登記官吏の過失にもとずく違法の行為によるものといわなければならない。

四、証人山本五郎の証言及び原告田中正治郎本人尋問の結果並びにこれらにより成立を認めるべき甲第六ないし第八号証、第一〇号証、前記甲第五号証の各記載に本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、本件登記の結果登記簿上本件土地は関口孟也の所有名義として登載されたところ、原告田中正治郎はもつぱら右登記を信頼し、関口が実体上有効に本件土地の所有権を取得したものと信じ、不動産仲介業者である訴外岸本不動産株式会社に依頼してその仲介により関口から昭和二九年一〇月二八日本件土地(一)を代金三六二万二、八五〇円で買い受けてその代金を支払い、かつ岸本不動産株式会社に対し右仲介手数料として金二〇万七、〇二〇円を支払つたこと、原告学校法人女子学院もまた右関口の登記を信頼し、同人が実体上有効に本件土地の所有権を取得したものと信じ、訴外住友信託銀行株式会社東京不動産部に委任し、同会社を仲介せしめて関口から昭和二九年一一月九日本件土地(二)を代金一、一四一万二、二五〇円で買い受けてその代金を支払つたこと、原告らはそれぞれ本件土地につき関口から前記所有権移転登記を経たが、その後鳥海京から原告らを相手方として東京地方裁判所に本件登記が高宮英一らの偽造文書にもとずく無効のものであり、関口は実体上の権利を取得しないことを理由として原告らの右各登記抹消の訴が提起され、すでに第一審においては本件原告らの敗訴に終り、目下控訴中であることを認めることができ、右事実と前記認定の事実とをあわせ考えれば、他にとくだんの事情の認むべきもののない本件においては、原告らは右訴訟の勝敗にかかわらず実体上本件各土地の所有権を取得するに由なく、その代金及び仲介手数料として支出した金額はその損害に帰するものというべきである。もつとも原告らは関口に対して右代金を不当利得金として返還請求し得べき筋合であるが、右証人山本五郎の証言及び原告田中本人尋問の結果によれば右関口はほとんど無資力でその返還は実現不可能であることがうかがわれる。また原告田中が岸本不動産株式会社に支払つた前記仲介手数料について同会社において現にこれを返還し、もしくはその返還を約している事実はこれを認めがたいところである。従つて他に特に原告らの負担を軽減すべき特別の事情のないかぎり、原告らの支出した前記金額がその損害たることは否定し得ないものといわなければならない。そしてそれは関口孟也名義の本件登記を信頼したが故のものであり、被告の登記官吏らに前記過失がなく本件登記がなされなかつたならば、原告らが関口から本件土地を買い受けいたずらに前記金員を支出するということはあり得なかつたものというべきであり、その間原告らにとくに責むべき過失の存することは認められず、不動産につき偽造文書にもとずき実体と異なる虚偽の登記がなされれば、後に右登記を信頼した者が不測の損害をこうむるべきことは通常当然に起り得ることというべきであるから、結局原告らの前記損害は被告の登記官吏らの過失にもとずく違法な登記によるものというべきである。そして不動産登記は不動産に関する権利変動を公簿に登録公示する国の公証事務であり、公権力の行使としてなされるものであることは明らかであるから、被告は国家賠償法第一条により損害償賠として原告田中に対しては右金合計三八二万九、八七〇円、原告学校法人女子学院に対しては右金一、一四一万二、二五〇円及び各これに対する本件訴状が被告に到達した日の翌日であること記録上明白な前者につき昭和三三年八月五日から、後者につき同月九日から各支払ずみまで年五分の遅延損害金を支払うべき義務があること明らかである。よつてこれを求める原告らの本訴請求をそれぞれ正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、仮執行の宣言はその必要がないものとしてこれをしないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武)

物件目録

(一) 東京都千代田区四番町九番の九

一 宅地一〇三坪五合一勺

(二) 同所同番の八

一 宅地四五六坪四合九勺

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